Friday, December 09, 2005


芸は見せても肌は見せない。

処女は売っても魂は売らない。

芸者としてのプライドとひとりの女としての一途な愛。

取り澄ました表情と嫉妬に燃える心。

女の持つオモテとウラ、昼の顔と夜の顔を完璧に使い分け時にリアルに時に強烈に演じ分けるヒロインの生き方は、昭和初期~戦後という激動の日本史に負けないくらいのしたたかさ。

さらに置屋や花町の風情を細密に再現した背景が圧倒的な迫力を生む。

しかし、主人公・さゆりを演じたチャン・ツイィーはライバル・初桃のコン・リー、置屋の女将・桃井かおりらのアクの強さに飲み込まれ存在感がイマイチだ。

貧しい寒村から花街の置屋に売られた少女が女中暮らしのつらさに涙ぐんでいると、会長と呼ばれる男が慰めてくれる。

その日から少女は芸者になる決心をして、習い事に励む。

数年後、少女は豆葉という売れっ子芸者に認められ、さゆりという名で花街にデビューする

。この作品に物足りなさを感じるのはヒロインの生の原動力に説得力が弱かったからだ。

身売りされ奴隷同然の処遇の中、偶然出会った会長の親切に生きる希望を見出した少女が一流の芸者になって会長の座敷に出ることを目標にがんばるという設定は肯けるが、それならば彼女が必死で踊りや三味線の稽古に励む姿を見せるべきだろう。

通り一遍の練習風景ではなく、それこそマメがつぶれ血がにじむような努力や、男を惑わす視線を身に付けるため深夜まで鏡の前で繰り返すシーンを挿入すれば彼女の決意の固さもスクリーンから伝わったはずだ。
さゆりは意中の会長と再会してもその思いを積極的に伝えるでもなくそばにいるだけ。

愛でも復讐でもいい、伝説の芸者と呼ばれるくらいならヒロインは強固な信念を持っているはずなのに、青い瞳は最後までミステリアスなだけだった。

初桃のように恋に生きるでもなし、女将のようにカネにがめつくなるでもない。

結局、さゆりの上昇志向より花街の女同士の嫉妬や憎しみばかりに焦点が合った、映画の大きさに比べ物語のスケールは小さい作品になってしまった。

これならわざわざ中国人気女優を使った英語劇にするほどでもないだろう

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SAYURI MEMOIRS OF A GEISHA
ポイント ★★*
DATE 05/11/28
THEATER ヤクルトホール
監督 ロブ・マーシャル ナンバー 147
出演 チャン・ツイィー/渡辺謙/ミシェル・ヨー/コン・リー
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
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2 hours cookbook at 5:13:00 PM

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